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法華コムを訪れていただいた方、また電子説法一日一話の読者の方のための掲示板です。
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その4
投稿者:
法華坊主
投稿日:2002年11月20日(水)22時58分47秒
次にひろさんの書き込みに
>《折伏によって》対立した相手もそれによって救いの機をもたらされたと、自己満足に終>わらせるのは簡単です(ただし結果的に、対立した人から教えてもらうこともあるは否>定しません。しかし、それは結果的にそうなることもあるということでしかないと考えるの
>が普通です。宗教的に「折伏の相手は、これ(対立)によって仏縁を結ばれた」等と意>味づけしてまで行うこととは私には思えません)。
とあります。(《》内は私の補記。)
これについて非常に難しい点であるのですが私は宗祖の「信謗ともに下種〈成仏の原因)となればなり」(「教機時国抄」)等のお示しにより、ひろさんとは逆にきわめて宗教的に
<「折伏の相手は、これ(対立)によって仏縁を結ばれた」>と理解します。
これは、宗祖の教えを受け取る私たちそれぞれの感受の問題による見解の相違と思いますので、私の思いを述べるに止めます。
以上、教えへの理解が及ばぬ故、冗長になりましたことと
ご回答が今に至るまで遅れましたことをお詫びします。
追記
法華コム師はなぜこのご自身の開設された掲示板に登場されないのでしょうか?
この一連の議論が始まった後に「電子説法」上で意見を述べる旨の発言がありました。
併し、登録されている限り届けられるメールと、興味を抱いて自発的に閲覧する掲示板ではネット上の媒体としての意味が違うと考えます。掲示板での議論の進展をみて、結論としての自身の意見を述べられるのでしょうか?それは私は肯首出来かねます。
自身は議論に参加せず、判定者・裁判官のように結論を述べるおつもりであれば、私は今後一切の発言を控えるとともに、前回、今回の書き込みを削除するつもりです。
ひろさん・神隠さん・招き猫さん・蓮子沙門師・私の意見の要旨を述べて電子説法で取り上げるにしても、この掲示板への参加が前提ではないかと考えます。
回答を求めます。
その3
投稿者:
法華坊主
投稿日:2002年11月20日(水)22時57分35秒
次にレスを頂いた中にいくつか私の書き込みに対するご質問がありましたのでわかる範囲でお答えしたいと思います。
まず、宗祖の教えが誤解されることについて。
これについて私は近年の某在家団体による折伏をあげました。勿論これがすべてではなく、あくまで戦後の代表的な例として挙げたまでです。当然、過去現在の僧侶の中にも
一般の方に宗祖の教えを誤解させる要因はあります。
古くは先ほど遺文のテキストクリークとして書きましたように、宗祖の名を借りて自分の考えを主張せんとするものなどはその代表でしょう。戦国・織豊・江戸の各時代には時の権力者と激しい対立を繰り返していますし、さらに日蓮門下各宗は近年に至るまで浄土宗・真宗等の各宗と激しい論争を続けています。また大正から戦前にかけて、全体主義者・覇権主義者、そして対極にある社会主義者たちの思想的柱になっていたようです。同時に当時の天皇絶対制を侵すものとされ国家による弾圧も受けています。
このような事柄から宗祖の教えは内容に立ち入らないままイメージだけで戦闘的・排他的
暴力的・全体主義的・社会主義的といろいろに誤解を受け続けてきました。
これは宗祖の教えを正しく理解し広めるべき僧侶の責任といえます。だからこそ私などが
自分の非才を顧みずその責任の一端を負うべく出来る限りお話しさせて頂いています。
次に宗祖の折伏とは他を認めない事ではないかとありました。
これについては、先月の書き込みに書きましたが、
宗祖の考えは一言で言うなれば「仏のすべての教え、経典の功徳は法華経に含まれている。」ということです。
念仏を称えること、座禅を組むこと、戒律を守ること等、これらの功徳はすべて法華経につまり、南無妙法蓮華経と唱える功徳に含まれる、総在する、というのが宗祖の教えの根本です。
「念仏と座禅と題目を比べて題目が一番よい。他はだめ。」といった比較による
取捨選択ではありません。
「A・B・Cの中で比較してCが一番」といった考えではなく「A・B・Cを止揚し総在するDを最上とする」という考え方です。これは他を認めず取捨選択する考え方とは似て非なるものです。
宗祖の四箇格言〈これも後代の造語の様です)といわれますが念仏・禅・真言・律の
各宗を批判する中において、特に念仏を激しく非難した理由がここにあります。
浄土宗の開祖法然上人はその著「撰択本願念仏宗」において念仏の教えを易行・正行とし、他の一切の仏教を難行・雑行として、これを捨て去り、念仏の教えのみを撰び取る事を教えました。一切の経教から念仏のみを取捨選択する教えです。
宗祖と法然上人は全く相反する方法論を以て、題目と念仏という教えを説かれました。
宗祖は当時の諸宗の高僧からの「法華経のみを是とすることこそが謗法である」という
反論に対し、その言葉は法然に対してこそ向けられるべきと答えています。
では、念仏等の功徳を法華経に総在されるとはどういう事かというと、宗祖は「十章抄」という遺文に
「南無阿弥陀仏は爾前にかぎる。法華経においては往生の行にあらず。開会の後、仏因となるべし。〈中略)法華経は能開、念仏は所開なり。法華経の行者は一期南無阿弥陀仏と申さずとも、南無阿弥陀仏並びに十方の諸仏の功徳を備えたり。〈中略)設とひ開会をさとれる念仏なりとも猶体内の権なり。体内の実に及ばず。」と説かれています。
意味は「念仏は法華経によって開会〈統一止揚)されて初めて成仏のための修行となる。
法華経は止揚するもの、念仏は止揚されるものであるから、法華経の修行をするものは、念仏を称えずとも阿弥陀仏や他の仏の功徳を備えている。たとえ法華経に開会された(止揚された、つまり真の成仏のための修行となった)事をわかった上での念仏でも止揚する法華経の功徳には及ばない」ということです。
私が前回の書き込みで
>「法華経を理解しその立場に立ってこそ他の教経の本当の意味が理解できる」
と書いたのはこの意味です。
法華経によって真の意味が現れたとしてもそれは、法華経には及ばないというのが宗祖の教えであるといえます。
宗祖と法然上人といずれが排他的かは自明ではないでしょうか。
その2
投稿者:
法華坊主
投稿日:2002年11月20日(水)22時56分5秒
さて次に、宗祖の「念仏者の首をはねよ」等の言葉についてですが、
御遺文中にこの意味の涅槃経を引用された箇所は著述順に「守護国家論」「災難興起由来」「災難対治抄」「立正安国論」の4カ所です。
(まず、日蓮聖人遺文のテキストクリークを述べなければなりません。宗祖遺文は宗祖の真筆が有るもの、歴史的、内容的に宗祖作と確定できるもの、また明らかな偽作、真偽未決のものを含めて529編あります。私が検討したものはそのうち宗祖の真筆が有るものと真偽の疑いがないものに限っています。)
この4カ所の記述内容のうち3カ所について文意を述べると
涅槃経の謗法者の断命を可とする文を引用した後、宗祖の言葉として
「それ釈迦以前の仏教はその罪を斬るといえども、能仁(釈尊)以後の経説は即ちその施(布施)を止む。」〈かっこ内は筆者の注〉(立正安国論)として、謗法者を戒める方法はその僧に対する布施をやめることであると説かれます。他の2カ所「災難対治抄」「災難興起由来」の内容もほぼ同じです。
さて残りの1カ所は「守護国家論」です。この書には上記の涅槃経の謗法者を罰し命根を断ずることを認める経文を引用するのみで上記のような宗祖の言葉はなく、「守護国家論」単独でみるときは、謗法者を罰し命根を断ずることを宗祖が認めているものともと考えられます。
しかしながら、宗祖の思想的深化の過程の上で考えると「守護国家論」は前三書の前に書かれたものであり、「立正安国論」著述に至るまでの研究段階で中間的まとめとしての論の性格を持つと考えられます。この4書は主な内容等はほぼ同じであり、「立正安国論」が幕府に提出された文章であること、また著述の順に経典等の引用が整理され、内容が整っていくことを考えると前3書は「立正安国論」の推敲であり、同書が一連の著述の結論であると考えられます。また、「立正安国論」の上記引用文に有るように謗法者に対する身体的な罰を否定し、布施を止める事を仏説としている事から、宗祖の謗法者を戒める方法論とは「謗法者に対する布施をやめさせる」ということであったと考えられます。
このように考えるとき、宗祖の折伏という布教方法が戦闘的・排他的・暴力的と表されるについて戦闘的・排他的との論は別に検討するとして、暴力的であるとの批判は退けられるべきと考えます。
再考の上でお答えします。1
投稿者:
法華坊主
投稿日:2002年11月20日(水)22時55分27秒
もうどなたも覚えておられないのかもしれませんが
日蓮聖人の武装・折伏等の問題の僧侶としての解釈です。
前回の書き込みに対してのレスありがとうございました。
自分で書き込んだ事ながらすこしく疑問に思う点もあり、御遺文を読み直し、また学林(僧侶養成機関)の先生にも教えを請い、新たにまとめてみました。
まず最初に、この一連の議論の発端となった、宗祖が行敏に「庵室に凶徒を集め、刀杖を貯えている」(取意)と訴えられたことについて、「電子説法No781」(9月14日)に「行敏訴状御会通」を引用した「日蓮聖人一代図絵」の訳が有ります。
これについて説明しますと、 <凶徒>という言葉は一般に暴力的な凶暴な人間という意味になるかと思いますが、これは宗祖の信者・門弟を行敏たちの側から見た際の言葉で有り、信者・門弟をさして<凶徒>と呼ばれることは他にもあったようです。信者・門弟がすべて暴力的であったということは考えにくく、宗祖を狂僧・破戒僧といい信者等を凶徒というのは宗祖の批判にあった諸宗からの誹謗であると考えられます。
刀杖については前回の書き込み同様、兵農未分であり、特に下級武士を中心とする男性信者は勿論、女性信者であっても、度重なる災難によって治安の悪化している時代にあっては最低限の護身具を持っていたと考えるべきでしょう。勿論これは宗祖の信者のみに限ることではないはずです。
これらの護身具である刀剣など(それは勿論全く謗法者を襲うためのものではなく、山賊・野盗等に備えるものであり、必ずしも宗祖の批判に激昂した諸宗の信者からのみ身を守るためだけのものではない)をさして「刀杖を貯える」と訴えられたと考えられます。
では、宗祖自身と僧侶である門弟についてですが、私は前回
>聖人も刀を所持していたことがわかっています。(法華宗大本山本興寺に現存します)
と書きました。これについて訂正します。
宗祖所持の日本刀「数珠丸」は法華宗大本山本興寺に現存することに変わりありませんが、この「数珠丸」は宗祖が身延山入山の折りに信者であり身延の地頭であった波木井実長公から献上されたものと伝えられます。この伝記を事実とすると宗祖が刀を送られたのは「行敏訴状御会通」を記されてから十数年後の事となりますし、また、この伝記が事実でないと考えますと、「数珠丸」が宗祖の所持であることも疑いがもたれます。
上記の事柄から、宗祖と門弟が武器を持っていたかについては確認できないという事になります。
情緒と感性と認知
投稿者:
M
投稿日:2002年11月17日(日)17時24分42秒
はじめまして。電子説法を毎回楽しみに拝読している者です。
私は仏教から切り離された家庭で育ったのですが、ここ数年、創価学会と日蓮宗の皆さんと縁があり、二つの集まりで法華経や御書・御遺文を学びつつ唱題しつつ色々考えた結果、この秋に日蓮宗からお曼荼羅を頂きました。
今回の説法で、信仰の鍵が「感性に映る像の合理・不合理に執着することではなく、その像が情緒に与える響きの質を見つめ、感じ、考え、自分が参与できるかどうかを自分自身の内面に尋ねること」にあったというお話に共感すると共に、正しい信仰を見極め育み保つためには、情緒と感性と認知のフィードバックのようなものが常に必要なのだと改めて思いました。
ご師僧の感性は本当に美しいですね。子供の頃に教わったのに思春期に反発して閉ざしてしまった感謝の心に繋がるものを感じました。反省してリハビリするつもりです。
季節柄、皆さんご自愛下さい。
あっはっははは(^^;)
投稿者:
ひろ
投稿日:2002年10月31日(木)11時47分47秒
>読者が「ああ、なんていい事をいうんだ、この人についていこう」と心酔したり(え、あり得ない?(^_^;))(電子説法から)
いえいえ、なかなかの素敵なお兄さまと心得ておりますよ。とくに髭が、いいですね(笑)。
>怪しい新聞記事(訂正)
投稿者:
sakura
投稿日:2002年10月29日(火)17時09分33秒
ごめんなさい;;;URL間違いました。
http://japanese.joins.com/html/2002/1028/20021028205533700.html
です。
最初にこの記事について書き込みした所貼ってしまいました。m(_ _;)m
怪しい新聞記事
投稿者:
sakura
投稿日:2002年10月29日(火)17時07分49秒
始めまして。
韓国の新聞に怪しい記事がありました。
http://www.kishimojin.or.jp/
「日本の法華宗の宗祖は朝鮮の王孫」……なんだそうです。
…どっから、こんな妄想が???
しかも、それをどうどうと記事に載せる韓国の新聞。
(しかもこの記事が載ったのは韓国財閥系、最大部数を誇る新聞社です)
大蔵経
投稿者:
栗田利竜
投稿日:2002年10月22日(火)03時31分41秒
法華コムの皆さんお元気ですか、読書の秋、愚僧のような者でも、少し教学に目覚めなければと
思う季節です。
さて、広源寺のホームページにリンク集を設けて居りますが、お気付きですか、とんでもないサイトがあるんですよ。
http://www.eru2.co.jp/kougenji/top/top_friends.html
大正新修大蔵経が85巻まで収蔵されているサイトです。近く全巻が完結するそうで
すが、書籍では100巻の大部ですから、なかなか書斎の片隅にと言うわけには参り
ませんが、これなら好きな所だけダウンロード出来ますから、便利になったものです。
http://www.cbeta.org/cbeta/result/index.htm
下記はこの教団、<浄宗学会>のサイトです。浄土教を基礎に華厳経、地蔵経・・・
念仏往生を世界中の華僑相手に布教しています。この浄空という和尚、世界中に5億
の信者を持つと言うのですが、まあ「白髪三千丈」のお国柄としても、寺が世界中に
散らばっていて、インターネットを通じて毎日数時間休み無しに説法を続けて居られ
ますから大変な方です。
http://www.amtb.org.tw/
先日この教団から西山短大の図書館に「乾隆版大蔵経」が献本されましたが、珍しいもの
ですから、登山の折りには一度ご覧下さい。(一説には段ボールに入ったまま開梱されて
もいないという噂も聞きますが)
インターネットの動画配信で年中「お説法」を流し、書物は勿論、テープ、CD、D
VD・・・あらゆるメディアによる施本を無料で配布しています。華僑を中心とする
信者さんの寄進を、惜しげもなく布教のテキストとして還元しています。
その一方で、衣食を全て提供して、若い僧侶に、教学と説法の研修に専心させるシス
テムも持っています。
少し教団を生きた経営体として考えれば誰でも思いつく事柄ばかりですが、「800
年の惰眠」から覚めない西山には、そんなことを話する仲間にも事欠く有様です。こ
のMLもそんな場であって欲しいと思うのは私だけでしょうか・・・
実はこの教団をお世話しているのが画僧の慧善さんで、そのご縁で当山にも大蔵経始
め、浄宗学会が信者さんに配っている沢山の施本が献本されました。中文・英語・パー
リー語で、読めないものが殆どなのですが、是非一度ご覧になって下さい。本は背中
を眺めるだけでも楽しいですから・・・
学ばなければいけないのはその、無料で配る施本の範囲が、料理、医学、健康、芸術、
英会話など、日常生活の範囲全てに及んで、その内容が仏教を基本に展開されている
ことです。本来持っている教典の情報力を活かさず、セクトに固まった「教義」とや
らに固執している、ひ弱な宗学者の姿からは想像も付かない逞しさです。
まあ、ぼやいてばかりでもいけませんから、自分達で出来ることから始めましょう。
栗田利竜 合掌
---------------------------------------------------------------------
栗田利竜(利彦) 643-0051 和歌山県有田郡広川町下津木962
■広源寺 & 株式会社コーツー
Tel.:0737-67-2007 Fax.:67-2777
携帯:090-2042-2007
■朝日SOHO支援センター Tel.:073-402-0860 Fax.:402-0861
■和歌山中ロータリークラブ Tel.:073-423-3555 Fax.:423-7200
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
ご注意:E-mailアドレスは下記をご使用下さい。
E-mail:riryo@naxnet.or.jp
●ホームページ:
http://www.eru2.co.jp/kougenji/
---------------------------------------------------------------------
訂正
投稿者:
ひろ
投稿日:2002年10月17日(木)08時47分39秒
一部、回答下さった方の文章を、誤読しておりましたので、「折伏・武装について、質問編」に本日、訂正を入れて質問し直しました。失礼しました。
編集済
お答え下さった皆様へ(折伏・武装について、所感編)
投稿者:
ひろ
投稿日:2002年10月17日(木)08時22分24秒
既に述べたところで、私の考えは、かなり出ていると思いますので簡単に、折伏と武装に関して、皆様のご意見を参照にしつつ考えを継ぎ足して書きます。
折伏も布教方法(対話方法)であるからには、人との交流の一手段だと思います。ですから折伏がいついかなる場合でも、絶対的に悪であるとは思いませんが、対話を拒むような結果になっているので有れば、それは折伏の目的を果たしていないのではないのでしょうか?
ケンカになっていては駄目だと言うことです。言い負かすこととも違うでしょう。言い負かされて、心を開く関係というのはかなり珍しく、通常は恨みに思うだけです。日蓮宗関係者と、某会の関係者がネットで論争をしているのを見ますが、互いに互いを折伏した「つもり」になり、最後は、「あなたのような人を増上慢の人と言います」とやっています。主観的には知りませんが、客観的には、ケンカでしかありません。むしろこうしたことが、傍観者をして、日蓮聖人から遠ざけていることが多いと思います。折伏は、実際上の話から言えば、やはりとても難しい方法であることには違いないと思います。簡単にするようなことではないと思います。
法華のように、信じることを重視する教えは、信じないものの救いをどうするかという点が、必ず問題になりますね。そのとき、よほど気をつけないと、全てのものが悟りに至る、救われるという教えを説きつつ、方向性としては逆の方向に進みかねないと思います。しばしば、折伏にその姿を見ます。正しさのために、念仏の邪義(聖人から見て)を破るといい、そのためには犠牲も致し方ないというのであれば、それは彼ら信じないものの救いに対して冷淡だと思います。もっとも本当にクビを打てと思っていたかは、別に検討が要りますけどもね。いずれにしても、信じないものとどう接するかは、信を重視する人はとても重要な問題です。信じることを絶叫したり、信じてみないと分からない、というのは誰でも出来るのですが、それでは教えと自らの行動が矛盾していることに気付いておりません。
聖人の宗教者としての自覚が激しい布教法をなさしめたとの回答がありました。私もその回答はまっさきに用意した回答でした。自覚がないとあれほどのことを実行するのは無理でしょう。しかし、それが対話方法として適切であったか、また信じないものをどう扱うかという点で、とても難しい問題と思っています。対立した相手もそれによって救いの機をもたらされたと、自己満足に終わらせるのは簡単です(ただし結果的に、対立した人から教えてもらうこともあるは否定しません。しかし、それは結果的にそうなることもあるということでしかないと考えるのが普通です。宗教的に「折伏の相手は、これ(対立)によって仏縁を結ばれた」等と意味づけしてまで行うこととは私には思えません)。
それと最後に武装の問題です。私は、最初の書き込みをよく見ていただければ分かるのですが、折伏を全面的には否定していません。お話しの流れが、折伏についての話になってきていますが、私の書いたのは、「武装をするくらいなら折伏を辞めるべきだったのでは?」という内容でした。常不軽菩薩のような行であれば、刀はいらないですし、これなら首尾一貫していますが、未だに日本刀を持つ意味が分かりません。当時は兵農未分離というご意見もありましたし、実際に比叡にも僧兵がいましたから僧侶が武器を持つことは今とは違った価値観があったことは知っています。ただ聖人は僧兵とは違って、学侶(学問僧)であり、僧兵のような武士だかなんだか分からぬ人々とは同じく僧でありながらも異なります。天台の四十八戒に、武器を蓄えざるの戒があることを知らぬわけがありません。戒を破って結婚したものもいますが、他の鎌倉の祖師達が、あえて武器を持たないのもなんだかんだいって戒律を知っているからでしょう。それに武器を持てば、殺戒をおかすことが前提になります。覚悟していたのなら武器はいらないのでは? 威圧のためとしても、殺人の可能性は否定できません。殺人すれば、殺された人の仏縁はどうする気でいたのでしょう? それでも幕府の権力層を法華に改宗するのが優先するのでしょうか? 不殺戒をやぶってまでする動機がわかりません。もう少し知りたかったのですが、今となっては分からないのかもしれません。
編集済
お答え下さった皆様へ(折伏・武装について、質問編)
投稿者:
ひろ
投稿日:2002年10月17日(木)08時56分58秒
さて本題の方に戻します。どのようにお聞きするか少し考えていました。疑問はいくつか有るのですか、お答えいただいた文章を一々にくりぬいて質問したり、反論していては、せっかくのご厚意が訳の分からない方向に進んでしまいかねませんし、そのような形式はネットという交流の場では大変難しいからです。そこで、私からは、とくに疑問に思った二つの質問と(この質問は、主に法華坊主様のお答えを読んでいて思ったものです。単なる不勉強からの質問もありますので、どなたでもご存じの方はお教え下されば幸いです)、折伏と武装のことについての当方の所感を書くこととしました。あ、それと以前の電子説法も読ませていただいております。内容的に重なりますので、法華坊主様のお書きになられたものですよね?
それでは質問です。
1,一つ目は教義・事跡についての質問です。一々に引用することは避けたいのですが、一カ所だけお許し下さい。「正しくは、法華経を理解しその立場に立ってこそ他の教経の本当の意味が理解できる」ということは、私もよく聞くところです。この立場は、天台大師の立場ですね。聖人もその立場に立つことは自然なことですね(実際には、時と機などの問題が入り込みますし、天台宗と聖人はイコールではないのでもう少し検討がいるとは思います)。で、今問題となっているのは、折伏ということに関してです。布教とか周囲への働きかけの問題ですね。周囲の他宗派への人たちにどう働きかけたかと言うことが問題となるように思いますが、変な例ですみませんが、例えば、阿弥陀仏への信仰も法華経を理解すればそれによって浄土門の正しい意味も理解できる、というような阿弥陀信仰を捨てない方向での布教というのはあったのでしょうか?事例があればお教え下さいませんでしょうか?
こうしたことをお聞きするのは、一つには、実際上の周囲に対しての働きかけが知りたいと言うこと。なぜなら、周囲の他宗の人間には、聖人のとった言動しか残りませんからね。その言動を知りたいのです。
もう一つには、「法華の立場に立てば」ということも聖人の立場ですから、他の信仰を全否定したのではないとは言っても、その立場に立って、どこまで他の信仰を持つ人に対して働きかけて良いか?という問題です。この立場も、強力に言えば強制になったり独善になったりしませんか? 結局、他を認めないということにもなりかねないのではないでしょうか。
このようなことから聞いています。事跡をお教え下さればと思います。
2,聖人の折伏が攻撃的であるとのイメージは、確かに某会の折伏行によって、世間のイメージが悪くなったことは事実です。でも「真意」でないとしても、佐渡以前の折伏は実際的な宗教行為として周囲に働きかけたという歴史的な事実はあるのではないですか?(つまり周囲の目には攻撃的であるという事実が残ってしまっている。)某会は、日蓮宗の流れの中でも、正宗の在家団体ですから、やや特殊な団体であることは理解しておりますが、同会に非を背負い込ませるというのも一方的には過ぎませんでしょうか(私は同会とはなんの関係もありません)?某会が現れる前から、浄土宗と日蓮宗の対立は、江戸時代に及ぶまで数百年の伝統があるわけです。その胚胎は鎌倉時代の聖人にまで遡るのではないかと思いましたが・・それも布教方法として正しいのでしょうか?クビを打てと言われてまともな法論になると本気で思っていたのでしょうか? その前に幕府の役人によってただの危険人物として処理されると考えられませんでしょうか?
浄土宗の人たち(信者)が攻撃的でないというのは、歴史的にはそうではないのですけどもね。
1の問題ともつながりますが、「真意」と「方便」の問題を持ち出すことも、「布教(周囲への働きかけ・行為)」という側面に限って言えば、とても難しいことです。同会のほうでも、「いや、ぼくたちだって聖人の真意は知ってるよ。けど佐渡以前の方法が今は適しているのでやり方としては少々乱暴だけど、折伏の理解は正しいよ」と言うかもしれません。この辺のことは、一方的に評価を下すことはとても難しいことではないかと思いました。
編集済
お答え下されたみなさまへ(結婚編)
投稿者:
ひろ
投稿日:2002年10月14日(月)01時48分10秒
付属に出た話ですし、私自身は、僧侶の結婚の是非を論じるつもりはありません(個人的な感慨でしかありませんが、結婚してもいいと思っています。本人の自覚の問題でしかないから、というのが理由ですが)。結婚の問題は綺麗な宗門統一的な解釈は無理があるのではないかと前に書きましたが、それは、結婚の問題は、事後の議論になっているからです。祖師の事跡にもなく、それについてのお言葉も多分なく(知りませんが)、結婚を前に僧侶達が大議論を戦わせたというわけでもどうやらないらしく、すでに結婚してしまっているという状況が出来上がってしまっているところに後からあまり整った解釈をつけるのは難しいような、嘘くさいような感じがするのです。宗門の末端にまで及ぶとも思えないですし。もちろん、それでもそうしたことを考える意義は、宗門人であればあるのかもしれません。
ただ、在家人としては、結婚するにしてもしないにしても、それなりの自覚を持って僧侶をなさっているご住職とお付き合いできれば幸せだと思います。あまり結婚するしないということ自体には深い意義を感じていません。皆様方のような自覚して行動しているご住職であれば、結婚していようとしていまいと、きっとお坊さんとして尊敬できます。そんなことで、お寺が堕落しているとは人によりましょうが、在家人の多くは思ってないと思うのです。葬式仏教ともうしましても、きちんと一生懸命お経を上げてくださっているのが伝われば、嬉しいものです。ちゃんと仏法に触れる機会になります。
私事ですが、身内の葬儀の折、どうしても不審なことがあり本山のホームページで問い合わせをしたことがあります。苦情を言うつもりではなく、教義的な意味、儀式の手順を確認したのです。気軽にご質問下さるようにとのことでしたが、二ヶ月たってもナシのつぶてです。とうとうしびれを切らして、苦情と共に、催促してもそれも返事なし。こっちは問い合わせと言っても、住職の理不尽であろうと思われる行為をもう一度傷を押し広げて問い合わせてるわけです。市場アンケート調査ではないのですよ。答えるつもりがないのなら、気軽にご質問下さいなんて書かないで欲しいわけですし、答えられないのならその旨の返事くらいしなさいと思うわけです。まぁ、当たり屋と思われたのかもしれませんね。
でも、そんなところからお寺への不信が始まるんです。逆に言うと、そういうことを誠実に応対してくだされば、どんなにか心が救われたでしょう。
編集済
お答え下されたみなさまへ
投稿者:
ひろ
投稿日:2002年10月14日(月)04時36分5秒
蓮子沙門様、法華坊主様。
お教えいただきありがとうございました。法華坊主様のお答えは、まだ途中のようにお見受けしますが、ご事情で続きを書けないのかもしれません。まずは御礼申し上げます。
まず私の考えの基本的な立場を明かしておくべきだと思います。最初、この件については、私は特に答えを期待したわけではありませんでした。あくまで感想でありました。福頼氏の配慮により、話題の俎上に登りましたが、私自身はこの手の話は物別れに終わるものと基本的には思っておりましたから。皆様、どこのどういう意図を持った奴が書いたものとも分からぬ質問(苦情?)にお答え下さって、本当にご苦労さまでした。答えにくかったと思います。
少々長くなるかもしれませんが、まずは、私の立場を良いと思われる範囲ですが明かします。まず私は宗門の人間ではありません。しかしながら個人的にはお題目もしますし、日蓮聖人に対してそれなりの尊敬は払っています。日蓮聖人に惹かれる人々の多くが、その手紙等に見る人情家の聖人の御気質等に惹かれていらっしゃることも分かります。また、イメージに反して学者的な気質をお持ちであり(現代的な意味での学者ではないですけども)、いわゆる「鉄腕和尚」でないこともとりあえず存じております。存じてはおりますが、まずは事実から立ち上げてものを考えたい、というわけで前記のような書き込みになっています。はっきりもうして、恣意的な解釈では、内部の人には意味があっても信仰の外部にある人には、道理が聞こえないのです。
好き嫌いということが出ました。聖人に対して嫌いという感情を持っていると思われたかもしれませんが、ちょっと違います。好きでもあるが苦手だなぁという感じです。私はおそらく、あの鎌倉時代のままの強烈な個性を持った聖人が、実際に目の前にいたら引くでしょう・・。御書類に見られる聖人の人情の厚さに涙する人も、実際に来られたときにも同じようにいられるか、私は難しいところだと思っています。結婚のことに限ったわけではありませんが、聖人当時の折伏なり世間的には恵まれない生活は、今の家庭生活をはじめ多くのものを持った僧侶には無理だと思います。僧侶が堕落したなどという意味ではありません。折伏が仰せのように常不軽菩薩のような行であるとしても、ではおいそれとできるかと言うと、多くのものを持っていては出来ない、それくらい厳しいものですね、という話です。少なくとも私はそうだということです。そういう強い宗教的個性についていけるかというと、ついていけませんし、迷惑に思うことも十分考えられます。歴史的人物としては好きな面があるにしても、歴史的人物だからこその気楽な好意という面は私にとって間違いなくあるのです。私は聖人に付き従った人たちに比べて多くを持ちすぎていますから。そして、好き嫌いを言う前に、なにより私にとっては、まずは700年前の人です。700年前の人物が、仮にどう考えてもそこからすぐさま批判をする気はありません。また反対に700年前の人物を、自分の想像通りの人物、あるいは希望通りの聖者にしたててしまい、その像に酔いしれるようなことにしたいともさらに思っていません。700年前の人を知るには、その言動と事跡によるしかないので、それらを明確に知りたいとは思います。ですから時代背景の違いということを考えていないわけではありません。普通に考えて、聖人が現代に生きていたら、ああいうことは言わなかっただろうという予測は私も立たないわけではありませんから。ただし、時代背景にだけ安直に、その人物の行動の原因を帰着させるのもご都合主義的ではあります。
まずは私の思いはこんなところです。次に各論に入ります。読みにくいですが、分けることになると思います。
編集済
法華坊主さんへ
投稿者:
招き猫
投稿日:2002年10月 8日(火)19時27分22秒
法華坊主さんのご意見拝見しました。
何と言うか、難しい事はわからないのですが,で、ちょっと見当違いかもしれませんが・・・
いわゆる宗祖と呼ばれる方って、その宗派の方にとっては神、仏と考えるのはわかるのですが、
一人の人間として考えた時、例えば若い時から年を重ねていって「あれは若気のいたりだった」
と言う事はないんでしょうか?
人間って、過ちや失敗を重ねて成長していく様に思うのですが、宗祖さんのおやりになった事って
なんか、何でもかんでも正解っていうか、正しい理屈がついちゃいますよね。
そして、当然その生きた時代背景が現在とは全く違うはずなのに、現代において我々が正しいと感じる事、常識にあまりに合わせて、その行動や思想が解釈され過ぎていないでしょうか。
確かに真理は時間を超えたものではあるのでしょうが、それを受け取る我々は常に時間に束縛された存在だと思うのです。私としては、その時代、その環境、そこに生きた一人の人間としての肉声を聞きたいと思うのですが、どうもそれが感じられない。
折伏だってイロイロおっしゃっていますが、それって他の信仰を認めないってことでしょう。
どうも良くわかりませんが、確かお釈迦さまの話にイスラム教の礼拝に意味付けをしたとか、読んだ様な覚えがあるのですが(間違っていたらゴメンナサイ)他を認めることこそが今,必要とちがうかな?
訂正です。
投稿者:
法華坊主
投稿日:2002年10月 5日(土)00時50分40秒
本文最終行とその下の3行を以下のように訂正、加筆します
ですから、聖人が攻撃的とのイメージを印象づけた一因である、近年の某学会の折伏は折伏の本義を見失ったものであり方法としても教義的な面からしても誤りであるといわざるを得ません。
予想以上に長くなりましたので
僧侶の結婚の問題と
招き猫さんのいわれる寺院は社会儀礼の場であるとのご意見
神隠さんのいわれる悪いイメージを植え付けたことについては後ほど
回答です。その2
投稿者:
法華坊主
投稿日:2002年10月 5日(土)00時38分31秒
<逆になってしまいました。下の書き込みの続きです。>
時代背景を考えるとき、法華コム師は
>宗祖は、あの時代において、現実に暴力の危機に直面する日々の中で、
>やむを得ず武器を蓄えられたのだ。
といいますが、私はむしろ次のように考えます。
聖人の信者は主に中級以下の武士と庶民と考えられています。当時は武士と農民の区別が明確ではなく
江戸時代のように武士のみが刀を持っているという時代ではありません。農民・庶民も護身のための刀を持っていたことでしょう。治安が悪化していたとも考えられますし。聖人も刀を所持していたことがわかっています。(法華宗大本山本興寺に現存します)信徒が聖人のお側にあるとき、それは説法であれ護衛のためであれ、人数に応じた武器の類はあったことでしょう。
このことを理由に「庵室に凶徒を集め兵杖を貯えている」と訴えられたのではないかとも考えられます。
さて、折伏のあり方に話を戻します。先に書きましたように聖人の折伏の思想・方法は三つに分けられます。所謂四箇格言に代表される戦闘的といわれる折伏は聖人が佐渡に流罪される以前に特徴的なもので
佐渡在島中以降大きく変化します。これ以降の折伏は教義用語でいうと「法体の折伏」といわれます。
これは法華経常不軽菩薩品の教えによるもので、どのような状況でもいかに相手に軽ろんぜられ迫害を受けようとも、南無妙法蓮華経のお題目を聞かしめ続けるというものです。これが私ども法華宗の折伏であり
聖人の教えられた本当の折伏です。では、それまでの戦闘的な折伏は誤りかというと誤りではありません。それは一つの手段であり方法です。
聖人の教えは「法華経のみが正しく、他の教経は誤りである」という風に誤解されていますが、正しくは「法華経を理解しその立場に立ってこそ他の教経の本当の意味が理解できる」というものです。
聖人は「佐渡以前の訪問は仏の爾前経と思し召せ」といわれ、自身の教えられたことについても、「仏の教えが法華経によって初めて真の意味を持つように、自分の以前の説法も佐渡流罪以後の立場(観心本尊抄・開目抄の立場)にたって初めて正しい意味を持つのだ」といわれます。
もちろん折伏についても同じです。
ですから、聖人が攻撃的とのイメージを印象づけた一因である、近年の某学会の折伏は誤りであるといわざるを得ません。
予想以上に長くなりましたので
僧侶の結婚の問題と
招き猫さんのいわれる寺院は社会儀礼の場であるとのご意見
回答です。その一
投稿者:
法華坊主
投稿日:2002年10月 5日(土)00時36分41秒
どのように書けばよいのか考え込んでいるうちに遅くなりました。
約束の9月下旬には遅れましたがご寛恕ください。
さて、問題点を整理しましょう。
ひろさん、神隠さん、招き猫さんの書き込みをおおざっぱではありますがまとめますと、
1,日蓮聖人の折伏、諸宗批判について。
・聖人が武器を貯えたことについて。
2,僧侶が結婚してもよいという宗教上の根拠
という2つの論点になろうかと思います。
以下長文になりますが・・・・・
まず1つめ日蓮聖人の折伏、諸宗批判についてですが、下の蓮子沙門師の書き込みと
電子説法No63 No64「宗教批判の在り方(4)(5)」をお読みいただいていると考えて
付け加えさせて頂きます。
一般に日蓮聖人の折伏というと 念仏無間・禅天魔・律国賊・真言亡国という所謂四箇格言
を思い起こされる方も多いと思います。私も学校の歴史ではこのようなことを教えられましたが
もちろん、それほど簡単にまとめられるものではありません。
日蓮聖人は1253年32歳での開宗から1282年61歳での入滅に至るまでの29年間に
現存するだけで約400近い御遺文(手紙や論文など)を残されています。
この御遺文をかかれた年代順に読んでいくと、折伏という布教の方法が年を追い、転機となる
事項の度に思想的・方法的に深化・進展していくことがわかります。この折伏思想の進展を
伝統的に3つに大分し、
1.開宗から佐渡流罪に至るまで。2.佐渡在島中。3.身延止住中。
とします。
さて、今回、問題となっている戦闘的・挑発的な諸宗批判の言葉は、この1.の時期に特徴的なものです。
これについて、ひろさんが
>日蓮聖人の戦闘的な発言が、たぶんに原因になっているはずです。(略)攻撃を煽っていることになって>いるという自覚は、聖人とその門弟にはなかったのでしょうか?
と書かれていますが、これはご指摘のように、自覚的な挑発であり罪に問われることを覚悟しての言葉です。
「定んで日蓮弟子旦那、流罪死罪は一定ならんのみ。少しも之を驚くことなかれ。方々への強言申すに及ばず。是れ併しながら而強毒之の故なり。日蓮庶機せしむる所に候。」(「弟子檀那中御書」)
とあります、この「強言」は諸宗の高僧を挑発しよって幕府公認で法論を行い、いずれが正しい教えかを公に認めさせようとの目的です。
日蓮聖人の目的は諸宗の高僧の首を切ることなどではなく、あくまでも彼らと公の場で議論し、いずれが末法を救う正しい法かを幕府に知らせることでした。
このような激烈な言葉を発したのはそうしなければ、彼ら諸宗の高僧が動かないことを知っていたからではないでしょうか。挑発的な言葉を使わなければ権力の庇護下にある諸宗の高僧は日蓮聖人の主張を無視し続けたのではないでしょうか?
しかし、ここに一つの誤算があります。日蓮聖人が批判したのは聖人にとっては邪宗であってもあくまでも
僧侶です。原則として僧侶を死罪にすることが禁じられていた時代。いやしくも各宗の高僧が聖人ご自身の
命を私的な兵を以て、あるいは権力者に語らって秘密裏にねらうなどと考えておられなかったのではないかと思うのです。
公場での法論を願うあまりに発した激烈な言葉によって、幕府に訴えられその結果、流罪死罪に問われる
のは覚悟していても、、持戒堅固と知られた諸大寺の高僧に命をねらわれるのは聖人にとって、衝撃でもあり、まさに末法と感じさせる事だったのではないでしょうか。
このように考えるとき、当時において、真に暴力的であったのはいずれをと問い返さざるを得ません。
十二縁起の法
投稿者:
たもりん
投稿日:2002年10月 1日(火)18時33分5秒
いえるかな?
やあ!
投稿者:
たもりん
投稿日:2002年10月 1日(火)18時32分2秒
やあ
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