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疑問です。

 投稿者:白蓮  投稿日:2003年 7月11日(金)18時02分45秒
   初めまして白蓮と申します。何故法華宗は本門流と陣門流と真門流と本門法華宗に分かれたの
でしょうか?
 


私は好き

 投稿者:水蓮  投稿日:2003年 6月24日(火)22時01分41秒
  確か「師の用法」について近々取り上げるということだったし、
時事随想も続くようだから、
大丈夫じゃない? >いちねんさん。
私は小説好きだから文句はありません。
(難しい話より読みやすいし)
福頼さんのホームページで読んだことある作品だけど、
メールマガジンでも楽しみに読み直してます。
まあ、いろいろな人がいるということで。
 
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じこちゅうな要望。

 投稿者:いちねん  投稿日:2003年 6月24日(火)19時18分53秒
  あのー、こんな事言ってもしょうもないかもしれないんですけど、
個人的に小説は余り好きじゃないんですよねー。
忙しい時間を割いてでも読もうとは思わず、そっこー削除の憂き目をみてます。
楽しみにしていらっしゃる人もいると思われるので、大きな声では言えませんが、
『電子説法』のタイトルと内容に惹かれ、購読している我が身としては少々不満げ。

純粋な説法でなくても勿論OKなので、時々でも「説法もどき」
してもらえませんかねー。
何か今のままじゃ購読している意味がないっちゅーか、小説なら他にも色々
発行している人いるし、例えば別タイトルのメルマガにして発行するとか
ないですかね。
 

千日の行ですね//おつかれさま//

 投稿者:やすし@おんぴこりん  投稿日:2003年 6月 8日(日)01時44分36秒
  大変僭越ですが、、千日の行をなさったと私は判断させていただきます。

お疲れさまでした。<(_ _)>

そんなときにできる「間」に「魔」がはいらないように祈念させていただきます。

本当にお疲れさまでした。そうしてありがとうございました。

新生電子説法を楽しみにしております。

ここはお題目三唱させていただきます。合 掌
                   <(_ _)>

http://members.tripod.co.jp/macinlove/index-2.html

 

祝!一千号達成!

 投稿者:いちねん  投稿日:2003年 6月 7日(土)17時31分13秒
  一千号達成おめでとうございま〜す。
ゆっくり充電してくださいませ。
頻度おとしても「隔日」っていうのがすごいね。(笑)  
 
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読んでますよ

 投稿者:岩本  投稿日:2003年 3月14日(金)06時55分49秒
  真宗門徒ですが,毎回一所懸命読んでいます。  
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日蓮聖人門下の連合による「妙法の行進」

 投稿者:shamon  投稿日:2003年 3月 7日(金)14時17分52秒
  カンボジア宗教省・仏教界の協賛による法華経の流布「妙法の行進」への参加者・賛同者を募っております。

http://www5c.biglobe.ne.jp/~lotus/

http://www5c.biglobe.ne.jp/~lotus/

 
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病雑感

 投稿者:ひろ  投稿日:2003年 2月 1日(土)01時29分39秒
  いつもすみません。
前にも書きましたが・・先日からぜんそくがひどくて苦しんでおります。やっと薬で楽になりました。いささか興奮気味で書き込んでおります。お隣さんに迷惑になるので(マンション)、咳も出来ません。バケツを持って部屋の中で。。というのはいろいろ考えさせてくれます。人生を恨んだり、逆に試練と感じて感謝したり(人様の苦しみが分かるようになっただとか、前世からの罪を懺悔する良い教師だとかと思ったりだとか)、祈ったり・・と。でも仏教に関心を持つようになったのは病気とは関係ないですけども。

法華経寺さんも、開基さんの息子さんの病気から進行に入られたそうですね。この世には不思議なことも多く、直ることもあればそうでないこともあり、それとは別に受け取る側の価値観の変容もありと、様々ですが、感覚的な苦しみに訴える病気が人生と宗教を考えさせてくれるのは確かです。

お釈迦様だったら、病気の人にどう言ったろうか、と考えたりします。聖書のイエス様は、病よ直れなんて言うのかもしれませんが、お釈迦様はそういうことは言いそうにないし。ダンマパダやらに見えるお釈迦様の言葉はちと哲学的に冷徹にまとめられすぎていて、実際の信徒にあのまま言ったかは若干疑問も感じたりもします。でもたぶん、祈れば直るとは、お釈迦様は言わないような気はします。

涙目になりながら、ふと、以前テレビで見た小児ガンの6歳ほどの男の子のことを思いだしていました。たまたまあの子は私ではなく、私はのうのうとこれまで生きてこられて、他人事として彼の死をお茶の間で見ていられた・・・。私はどういうわけであの子ではないのだろう? 別に哲学的な問いではなくて・・。実際同情は出来ても、彼の死は私にとってはどこまで行っても、他人事でしかありませんでした。でも、自分だけが病気にならないとか、なんとなくこの先も平凡に生きていけるというのは何の根拠もないことで、確率の話でしかないし、現にこんな調子だし、私だってあの子のような境遇にならぬとも言えないわけで・・たぶん末子だけど一番早いかもなぁとか、でもそれもまたいいのかもしれないとか考えていました。

いけないことと思いつつ、それに実際にはやらないのだけど、瞬間的に自殺も想像はします。自殺すると成仏できないという人がいます。宗教系相談室ではよく見ます。霊界のことは知らないので実際にそうかもしれません。しかし、こういうほとんどの言い分には、自殺する人が人生の敗北者とか逃亡者であるという前提にたっています。精神を鍛錬しても、人生に前向きになっても、肉体的につらいものはつらいし、痛いものは痛いのですけど、自殺するものは命を粗末にしたという罪悪感から自縛霊になって成仏できないそうです。粗末にしているわけでもないのですけど、五感に直接訴えてくる苦しみは感覚的なだけにどうにもならんこともあるのに・・この人たちは「あなたのことを考えて」とか言ってるけど、それも考えて言ってるのかなぁとか、健康な視点からしか見てないのかなぁなんて思ってしまいます。もっとも真相は知らないし、そう言われると、自分のような臆病者は自縛霊なんかにはなりたくないので薬を飲んでなんとかしのごうと思ってしまうので、そういう風説も自分には有用なのかもしれません。第一敢えて反論する理由もありません。

なおしてほしい、直りたいという気持ちでお経を広げることもありますが、自分だけが死なないというか自分だけがなんとなくいつまでも不変でいられるというような、そういう感覚を早くなくすことなんだ、結局は四苦からは逃れられないのだから、そんな相反していますが、二つの心があります。

近代の新興宗教のほとんどが病気直しを標榜したのはよく分かることですね。「死」の一歩手前にあって、死は抽象的で概念的だけど、死より具体的で感覚的だから。
 

明けましておめでとうございます

 投稿者:ひろ  投稿日:2003年 1月 9日(木)00時58分3秒
  話が私一人で流れそうなので、年末の挨拶は削除いたしました。すみません。いつも失礼な物言いにも、お世話になっています。今回は、信仰の問題で、個人的な素朴な疑問についてもし機会がありましたら、教えていただきたいと思います。よろしくお願いします。

私は、最初の書き込みにも申しましたように、宗門の人ではなく、個人的に法華を受持するようになりました。私は新しく分家しますから、檀家も自由に選べます。さて、疑問というか懸念はここからなんですが、我が家は先祖累代念仏信者が多かったようです。生きている子孫である私は自由に宗旨を選べますが、死んでしまった者はどうしようもありません。法華宗では、そういう過去の人たちの救いはどう考えているのでしょうか?念仏無間とまあそう簡単な話ではないと言うことはよく分かったのですが、あの人達は、どうなってしまうと考えておられるのでしょうか?子孫が正しい信仰にはいるまで、救いに預からないとのお考えでしょうか?意地悪な質問なんでしょうか?

以前、キリスト教から仏教に転向したある人の回想に、クリスチャン以外は地獄に堕ちるという記述を見て、自分の父や母や先祖が地獄に堕ちるというのが耐えられなくなって、仏教に改宗したというのがありました。この人の場合、そこで改宗しましたが、そこで改宗しない道も当然あるとは思います。それは宗教とそれを捉える人間の関わり方についての考え方によって違ってくるとは思いますが、でも、ま、それは今は置いておきましょう。

ただどういうお考えなのか、まずは知らないことにははじまりません。そこを教えていただければ幸いです。変に気をつかっていただくこともありませんし、それについて法華宗ではとくに言及がないというのであれば、それもそのまま理解致します。日蓮聖人のお考えは何かあるでしょうか?
法華経の一乗の精神からいうと、心配されるようなことはないというのが落ち着きどころだとは思いますが・・阿弥陀仏など実在しないから云々という記述も見ますし・・。
 

良いお年を

 投稿者:神隠(Kam-in)  投稿日:2002年12月30日(月)21時21分7秒
  法華坊主氏の書き込みに対して「またレスする」といいながら多忙により果たせず陳謝。ひとまず暮れのご挨拶、というわけで皆様良いお年を。  

(無題)

 投稿者:ひろ  投稿日:2002年12月15日(日)12時57分12秒
  私ばかりがしょーもないことばっかり書き込んでるようで、後ろに他の話が流れてはいけませんので、法華坊主様への御礼と回心についてはもうみていただけたと思いますので、削除しますね。御礼の気持ちを取り消すという意味じゃございませんから、ご理解下さいね。
法華経の要品、残念ながら私は知りません。他のサイトでも聞いてみると知っている方もいるかもしれませんね。自分のことで恐縮ですが、経本と言えば私は開結両方そろってないと嫌で身延まで買いに行きました。近くの経本・仏書屋さんでは、置いてなくて・・(置いて欲しいな)。よく見ると京都の会社。なんだ寺まで買いに来なくても、会社に注文すれば良かったんだ・・。でも身延にお参りできて良かったです。雨天でしたけど、店のご主人がせっかくの経本が濡れないようにと、ナイロン袋で丁寧に二重にくるんでくれたのも良い思い出です。それを心に煩悶ある時は毎日一品ずつ読んでましたが(このところ怠け気味です)、ちょうど開結あわせて大体一月でぐるりと最初に戻る計算なんですね。法華三十番神というのは、数から言ってもきりがいいんだなぁ、これと関係してるのかしらと無根拠ながら思いました。ちゃんと読んでると、あー今月も終わりだなぁとか、経本がカレンダーになるんですね。近頃は同じ品ばかりを読んでますので、カレンダー出来なくなりましたけど。
昨日付けの説法を読みました。難しい問題ですね。信念に関わることはとくに。宗教間の対話については、よほどお互いに冷徹な知性と対話精神の持ち主でないとやらない方が懸命なのかもしれませんね。私自身、自分の身に余ると思っています。
信条のような内面を深く入ること以外でも特定のこだわりのある方ですと、話しをすることは難しいです。内容に入る前に、対話=論争=争いという固定概念のある人だと、話し合いは争いと取られてしまうのでできませんね。理性的な人でも案外これが多いんだなぁ。争いを避けるつもりなんでしょうけど、そんなつもりはハナからないのですけどね。話し合いしたいと言っても、議論のための議論とか争いと取られている可能性がありますね。そうなったらそれ以上踏み込むことは出来ませんね。信頼関係もあると思います。聖人の態度というのは、この辺りのこととも関係があるとは思っています。個人的にはあの激烈な性格ややり方にはついていけんと申しましたし、前に書いたような理由で、決して賛成でもないし(どっちかというと反対意見ですね)、程度問題は当然あるのですけど、人と話すという点に関しては何か考えさせられますね。インドやヨーロッパの対話や論争の習慣のある国の人の方が、論争方法においての聖人への反発は少ないような気はします(ただし武装や権力との関わり方等の問題はここでは別としてね)。
 
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要品とは?

 投稿者:TUVOK  投稿日:2002年12月11日(水)11時39分2秒
  はじめましてTUVOKと申します。
いつも拝見させて頂き、勉強させて頂いております。
ところで質問なんですが、
法華宗(本門流)における要品とは何品のことを指すのでしょうか?
ご存じの方、どうかご教示ください。
 
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(無題)

 投稿者:法華坊主  投稿日:2002年11月28日(木)17時00分3秒
  法華コム様、ひろ様、山下様。
ご意見を頂きありがとうございます。

自坊の宗祖御会式が週末に控えており、忙殺されています。
来週には考える時間もすこしはとれるかと思います。
 
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ネットマナー

 投稿者:山下格  投稿日:2002年11月23日(土)17時14分22秒
   この掲示板の趣旨から外れてきますが、ネットマナーについて色々経験したり人の相談に乗ったりしてきた「専門家」の立場から一言。会議室や掲示板の運営の基本方針が最初に示されている場合、参加者はそれを承知の上で書き込んでいるものと自他共に考えるべきです。一種の私的契約ですからね。方針に不満があるなら、最初から書き込まない。一度参加したなら、途中から不満を覚えてそれを表明するにしても、一度だけ表明して今後の改善は運営者にまかせる。改善されなくて不満が募れば、静かに去るか、でなければ自分の理想とする掲示板を立ち上げる。それがマナー(ルールを尊重する態度)です。誰かがマナーを踏み外して、本筋とは違うところで場が荒れてつぶれた会議室は多いんですよ。
 法華坊主さんに対する反対意見になりましたが、お気を悪くされませんように。本筋の意見については好感を持っています。
 
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法華坊主様 続

 投稿者:ひろ  投稿日:2002年11月22日(金)17時51分50秒
  ※浄土宗との対立のことは、私が持ち出したから書かれているのですね。私がそのことにふれましたのは、対立には双方に原因があるのではないかということで書きました。同じ法華の立場の天台宗と浄土宗、浄土宗と真言宗などは歴史上名に残る抗争はしていませんね。何か対立にはそれなりの原因があるはずで、その一端が鎌倉時代聖人ないしはそのころに遡るのではないのかという意味で書いたわけです。しかし、あえて法然上人自身のことに触れなかったのは、ここにいない人(浄土宗信者がいない、弁明の機会のない人)のことを書くのはどうかと思って深くは書きませんでした。仰せのように、『選択集』は仏法の中から、念仏を選択するものですし、法然上人に独善的な臭いを感じないといえばウソになりますし(握り持ったような独善は感じます)、また様々な法難において念仏信者達の乱行もあったことは私は知っておりますよ。しかしながら、日蓮門下の方々が、時期の変遷によって日蓮聖人の真意を考えるように、法然門下にも法然上人の様々なお言葉から、その思想をくみ取っているのです。どうしていつも「選択集」の記述をのみもって批判するのでしょうか? 折伏の意味が変遷するように、一つの書物だけで批判するのは一方的なのではないかと思います。他宗への態度と自宗への態度に隔たりが大きいように思いますがいかがでしょうか。彼らの言い分を私が代弁する立場にもありませんが、選択の意味も、聖道門(念仏以外の教え)より浄土門(念仏)が優れていると単純にいったものではないと聞いております。選び取ることには違いありませんが、聖道門を否定しているわけではないということです。聖道門の人たちを折伏したわけでもありませんから、行動としては排他的であるとの批判は受けていないのだと思います。ただし思想面(『選択集』)には、そういう一面がありましたから、これは法然の死後、華厳宗の高弁等によって批判されおりますね。しかし、もともと『選択集』は、法然門下のごく限られた人たちのみ見たもので、これをもって折伏のような布教をしたわけではありませんから、周囲の目には、行動として攻撃的な言辞をおっしゃる聖人に対して、排他的であるという評価がくだるのは仕方がありません。法然がずるいとか、日蓮聖人が正直であるとか、そういう意味で書いているわけではありません。周囲への布教方法として言っているだけで、それ以上の意味はありません。

ま、私は念仏ではないから関係ないのですが、法華経を読みながらも、日蓮宗に今一なじめないのは、その辺りの一方的な評価にも理由があります。よそのホームページの話ですが、すぐ法然が悪いと書かれていて、悪い悪いとあんまり書いていると、嫌気がさしてしまうものですのに。
 

法華坊主様

 投稿者:ひろ  投稿日:2002年11月22日(金)16時07分55秒
  わざわざ学林までお調べ下さっていたのですね。ありがとうございました。掲示板運営のことは、仰せのことも分かりますが、運営には色々な方針がございます。ホームページ経営というのは、それはそれで気をもむののようです。とくにこの手のことは、福頼氏のようなスタンスの方は、とても難しいと思います。また参加も自由でございますし、気楽に書けるのが、掲示板の良いところですので、あまり拘ると書き込みにくくなります。せっかくメールアドレスをつけてくれていますから、あとの運営に関する意見はメールでなさると良いのではないかと思いますが、いかがでしょう。

※さてまずは『武装』ですね。そもそもこれが事実誤認かもしれないということですね。そうすると、訴状にあった批判は、誤解かあるいは故意に批判したものであったという理解でよろしいわけですね。聖人の刀所持の事実が確認できないのであれば、これは保留ということにせざるを得ませんね。信者が持っていたことが、結果的に批判の対象となったというわけですね。ここに拘ったのは、戒律と殺生をどう考えているか知りたいということもありました。先に書きましたが、いくら兵農未分離とはいえ、当時、僧侶の武器所持は戒律(天台菩薩戒)で禁止されていました。ただし僧兵がいましたよね。本来禁止されている武装、なのに武装するからには、これにも一応根拠があります。それは、法華坊主様のあげられている涅槃経の記述です。正しい仏法の為には、仏法を誹るものを殺しても良い、という記述です。真理の名の下に、人を殺すことを正論にしていしまう論理を仏教は確かに持ってたし、実際そうしたこともあったわけですね。そこで聖人と武器所持の関係、ならびに「クビを打て」の関わりを問いただしたのです(煩雑ですので、前には触れる程度で詳しくは書きませんでしたが)。法華坊主様の回答は、「守護国家論」「災難興起由来」「災難対治抄」「立正安国論」の四書を引かれ、時期的に思想の深まりがあり、「守護国家論」単独ではクビを打つことも認めているとも読めるけれども、結論としては否定されたというものでした。しかしそれはひっくり返すと、真理のためには殺人を認めている時期もあったかもしれないということで(ま可能性ですが。当時の時代にそれを認める論理や素地は一部にはあったわけです)、私はかえって聖人の思想の一面を見る思いで意外に思っております。
なお、法を謗るものを殺すことを、大勢の救済のためにはやむなしとする思想を、「一殺多生」と言うそうですが、この思想は大乗仏教に入ってからのものといわれいます。原始仏教には全くないか(殺しは理由の如何を問わず否定する)、きわめて微弱なものであったといわれています。わたしもそうですが、大乗は人々の救済を考え、小乗は自分だけの救いしか考えないから、大乗が優れていると簡単に考えがちですが、全ての人を救うことを標榜していた仏教の持っていた暗部?として、現代にいる私たちは、もう一度考えなくてはいけないと思っています。

※次に法華坊主様のその4の書き込みから引用。「その次にひろさんの書き込みに・・・宗教的に「折伏の相手は、これ(対立)によって仏縁を結ばれた」等と意>味づけしてまで行うこととは私には思えません)。とあります。(《》内は私の補記。)これについて非常に難しい点であるのですが私は宗祖の「信謗ともに下種〈成仏の原因)となればなり」(「教機時国抄」)等のお示しにより、ひろさんとは逆にきわめて宗教的に<「折伏の相手は、これ(対立)によって仏縁を結ばれた」>と理解します。」・・以上その4より。

お察しの通り、聖人の教えを踏まえて書いております。しかし、ここは折伏についての本質だと思います。これは誤解されるとかされないとか気にしないという立場でないとできないことですよね? 信仰を共にしない多くの人は、この布教方法を聞くと怖がって引いていってしまいます。外部からは独善という評価がされるのは、避けがたいことだと思います。しかしながらそれでも、誤解を覚悟で、その道を進む生き方もあり得るとは思います。
 
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「不在の弁明」について

 投稿者:法華坊主  投稿日:2002年11月22日(金)12時55分5秒
  法華コム様
電子説法上でのお答えを頂きありがとうございます。

まず最初に、私の「追記」について。
気をつけているのですが、一般の議論参加の方への語調よりも厳しいものとなってしまい、
強引な取引ともとれる文になってしまいましたことをお詫びします。失礼いたしました。

その上で、私の気持ちをもう一度述べさせて頂きます。
下記「追記」は1月28日付「電子説法」No578も読み返した上で書きましたものです。
同電子説法の内容も十分理解しておりますし、「出来る範囲から」というお気持ちも、
ご多忙であることも十分わかっているつもりです。
電子説法もよほどのことがない限り休刊されないで続けられておられますし、
継続的に掲示板への参加を求めるのは無理難題であるかとも思います。

しかしながら、この一連の議論はひろさんのご発言をきっかけに
法華コム師が
>私たち日蓮聖人門下が、目を背けることなく論じるべき問題です。
>日蓮聖人門下に連なる人たちそれぞれから、この問いかけに対して
>一人の宗教的人間として答えていただくことも期待しています。
として呼びかけられたもののはずです。

この中に、法華コム師が発言するとは明記されておりませんが、
私は法華コム師が仏教者として率直にどのように考えておられるかを期待していました。
私も法務の間を見て御遺文を読み、考えをまとめましたし、
他の参加の皆様もお仕事の合間に議論に参加され率直な意見を述べられたものと思います。
ですから、法華コム師が議論の判定者のように、議論の要旨をまとめ自らの意見を
最終的な議論のまとめとしてご発言されるつもりであれば、それは私には納得出来ないものです。

勿論、一連の議論を法華コム師がどちらが正しい論だといった言葉で締めくくるとは
思っていませんし、結論は、議論の参加者・読者それぞれの心の内に有るものでしょう。
だからこそ、掲示板とメールという媒体の差異によって、掲示板を見ない電子説法のみの
読者各位が法華コム師の意見を最終的な自身の結論の判断材料とする可能性を残すことに
納得できないのです。
法華コム師が参加することによって必ずしも電子説法の読者各位が
掲示板を見るとは限りませんが、少なくとも法華コム師を含めた議論参加者の
意見を公平に読むことが出来ると考えます。
「要旨を電子説法に紹介すれば同じ事」とのご意見もあるかと思いますが、
私を含め各参加者の発言の趣旨と法華コム師のまとめる要旨が必ずしも全部一致するとは
限りません。(師の話者としての限界をいうのではなく言葉とはそういうものでしょう)
私や参加者の方が、自らの発言の趣旨と、法華コム師の読みとった趣旨とが違うと
感じた場合でも、それを訂正するのはこの掲示板しかないのです。

だからこそ、議論の公正さを保持し、読者各位に平等に判断材料を提供する意味でも
法華コム師の掲示板への参加を求めたいと思います。

直前の書き込みにあるように
法華コム師の参加がなくとも、発言を削除したり、今後控えることはありません。
すこしでも多くの方に日蓮聖人が暴力的などではないことを
理解して頂きたいとの思いばかりです。勿論、宗祖の正当性を信じるあまりの
屁理屈などではなく、客観的にです。

余談ですが、私は「宗門の枢要」などではないですよ。(笑)
「おいまわし」「使いっ走り」がせいぜいでしょう。
だからこそ、蓮子沙門師以外にもたくさんの法華宗・日蓮門下各宗の
また、仏教各宗の僧侶の方の意見も聞きたいと思っています。

結婚についてはまとまり次第、書き込みいたします。

 
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そうですね>神隠さん

 投稿者:法華坊主  投稿日:2002年11月20日(水)23時55分34秒
  書き込みの後、一風呂浴びて考え直しました。
そこに神隠さんの書き込み。

追記の一部を前言撤回します。

削除はいたしません。
そもそも、ひろさん、神隠さんたちの質問に答えるために書いたものですしね。

わかりやすくは書いたつもりですが、力不足の故
難解な所も多々あろうかと思います。ご意見をお待ちします。
いつまでに回答するとはいえませんが。
 

まあ確かに

 投稿者:神隠(Kam-in)  投稿日:2002年11月20日(水)23時48分47秒
  電子説法を読み続けている者として、主催者と直接議論したい気持ちはあるな(信頼しててるから読み続けてるんだから)。でも無理にとはいわない。読者が意見を述べる場所を提供してくれているだけでも価値はある。  
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削除はもったいない、議論を続けようぜ

 投稿者:神隠(Kam-in)  投稿日:2002年11月20日(水)23時42分39秒
  主催者の登場と意見の削除を取引してるようで気持ちよくないな>追記。抗議はいいが、脅しになってないか?議論が続くことは素直に嬉しい。中身は一読ではよく分からん部分もあるので、何回か読み返してまたレスします。  
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